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1: News茶畑がお送りします 2020/06/20(土) 16:10:22.18
「批判」する奴は「陰キャ」

そしてもう一点重大なのは、若者たちにとって「批判」の捉え方が、一般的な理解とはまったく違うということだ。

先ほど、若者の目には安倍総理が「かわいいおじさん」として映っていることを指摘した。
そんな「かわいい存在」である安倍総理に対して、「あべしね」などと罵声を浴びせるような文化人・知識人が支持する(むしろ自民党よりも若者に優しいかもしれない)野党に、若者たちがなびかないのも無理はない。

自民党や安倍政権に批判的な中高年層(とりわけインテリとされる高学歴な人びと)にとって、「批判すること」とは、よりよい方策や建設的な結論を導出するために必要不可欠な営みだろう(もっともネット上では、「批判」と称してほとんど悪口や人格攻撃に終始している人も珍しくはないが)。
批判という行為自体はあくまで価値中立的であり、だれでもその権利を持っているというのが、社会一般の常識にかなった「批判」についての理解である。

一方、若者たちはそうは考えない。「批判ばっかりする奴はウザい」などと考えている。

これは政治に限った話ではない。そもそも、「なにかを懸命に頑張って取り組んでいる人」に対して、やたらに批判的な言動をとる人は、「足を引っ張る人」「文句ばかり言う人」「和を乱す人」――つまり、いわゆる「陰キャ」なのである。

「偉い人」なのに「かわいくて」「親しみやすい」安倍総理を、しばしば口汚く攻撃する野党や知識人・文化人たちは、彼らにはみな「陰キャ」で「かわいくない」ものとして映っている。

「批判なき政治」が意味すること
そのことを象徴する出来事が、いまから3年前にあった。元タレントで現在は自民党参議院議員の今井絵理子氏が、ツイッターに「今日から都議会議員選挙が始まります!『批判なき選挙、批判なき政治』を目指して、子どもたちに堂々と胸を張って見せられるような選挙応援をします」*5と書き、メディアやSNSで非難の嵐が巻き起こったのだ。

その当時に散見された「国民の『批判』にきちんと応えるのが政治だろう!」「批判をするな=独裁を認めろという意味か!?」といった知識人の反応こそ、彼らの目が届かない世界で「批判」という行為がどのようにとらえられているのか、まったく理解できていないことを端的に示していた。

今井議員が発した「批判のない政治」というのは、この発言に憤りを覚えた人びとが考えたような「(安倍)独裁政治を擁護する」ニュアンスの言葉ではない。
「やることなすことにいちいち批判したり文句言ったりしてくるような陰キャが湧いてこないスタイルでやっていくんでよろしく!」といった意味合いの言明だったのだ。

若者たちにとって、「批判」とは建設的で価値中立的な営みではない。攻撃性や陰湿さといった、ネガティブなニュアンスをともなうワードなのである。

若者たちの視点からは、安倍総理は他人の批判をせず、粛々と政策を実行する側であり(政権与党のトップなのだから当然そうなるのだが)、
野党はそれにゴチャゴチャと外野から「批判」をぶつける人びととして観測される。
若者にとってどちらが「自分たちに親しい側の人間」に見えるかは、想像に難くない
(例外的に都市部の高学歴層の若者では、立憲民主党などのリベラル政党を支持する割合が多いといわれる。それでも総じて、18~29歳の立憲民主党支持率は他の年代と比べて低い)。

抜粋
全文はソースで
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73403

関連ソース
「朝日ぎらい」な人々が世界各国で急増している理由(橘 玲)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56469

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